昔 東海 という名のついた列車がありました

写真を整理していたらこんなものでてきたシリーズヾ(ーー )ォィ Photo_4 たしか最終日近くのが 湘南S.SASAKI休日旅行人「書庫」に http://www.geocities.jp/shounan_s_sasaki/17/starthp/subpage05.html 寝坊してたんかい(∴`┏ω┓´)/コラァー!! この列車、歴史が古いんです http://ja.wikipedia.org/wiki/東海_(列車) より抜粋 概要 [編集] 特急「東海」は、1955年7月に東京駅 - 名古屋駅間で準急「東海」として運転を開始。1959年9月には「東海」の補完列車として、準急「新東海」が設定された。1961年10月に「新東海」を速達化して特急「おおとり」に変更し、「東海」は昼行6往復・夜行1往復の7往復体制で、このときが運転本数としては最盛期であった。 1966年3月に急行列車化され、1972年3月には全列車の運転区間を東京駅 - 静岡駅間に変更した。1996年3月に特急列車に昇格したものの、運転区間が新幹線と完全に並行する数少ない昼行特急列車で、東海道新幹線の補完輸送を行うという意味合いがあり、新幹線が停車しない沿線主要駅にこまめに停車することによって乗換なしのサービスを提供していたが、利用客の減少により廃止された。 急行「東海」のころもしっている あっトシまたばれるわ(笑) いまは踊り子やスーパービュー踊り子ぐらいかな昼間の特急 そうそう東海型っていうのもありまして・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄153系電車 より 抜粋 概要 [編集] 国鉄では1957年に、「東海」(東京 - 名古屋間)と「比叡」(名古屋 - 大阪間)の両準急列車を、従来の客車列車から、新開発の80系電車300番台車に置き換え、当時の急行列車を凌駕する高速運転を実現して、技術面・営業面での成功を収めた。 しかし80系300番台車は、在来電車に比して内装の質的向上は図られてはいたものの、基本的設備は普通列車との汎用仕様[1]であったために、長距離列車の接客設備としてはやや不十分で、居住性で当時の標準的な客車(10系客車など)や気動車(キハ55系)を凌駕するまでには至らなかった。また、80系の先頭車両は非貫通構造(「湘南顔」と通称される2枚窓)となっており、先頭車を中間に挟む増結運用の際には通り抜けができず、隔てられた各編成ごとに車掌を乗務させる必要があり、業務上非効率でもあった。 一方で国鉄は、同じ1957年、中空軸平行カルダン駆動方式などの新技術を導入した90系通勤形電車(後の101系電車)を開発し、技術的成功を達成した。 90系電車で確立された新技術は、在来車に比して居住性や走行性能の向上に寄与するものであり、速やかに優等列車用電車への技術移転が図られた。その結果、準急列車用として1958年に開発されたのが91系(153系)である。 本系列は居住性において従来の客車列車を完全に凌駕し、電車による長距離列車運転の優位性を確立する役割の一翼を担うとともに、1960年代以降の国鉄急行形・近郊形電車の設計思想の基礎ともなった。 最初に使用された列車にちなみ、「東海形電車」の別名でも知られている。当初は91系電車と称したが、1959年の車両称号規定改正に伴い153系電車となった。 位置づけとしては「80系電車の近代化形」ではあるが、車体や機器などは完全に一新されている。 その後この形式はバリエーションがあり末期にはいろいろ改造されたりして ムーンライト、のちほどムーライトえちごに使用されたりしました http://ja.wikipedia.org/wiki/ムーンライトえちご http://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄165系電車      165系のころのムーライト  越後湯沢近辺だろうか冬のとき乗ると 国境のトンネルを抜けると雪国であった 夜の底が白くなった が実体験できました たまたま雪が降っていて 「月夜の夜汽車」を体験したことも・・・ すごく幻想的でキレイでした 皆さん寝ていましたし 写真を撮ることさえ忘れてました 今は「ムーライトえちご」臨時列車で運用車両も変更されてます ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 ↑よろしかったらポチっとな  ランキングです<(_ _)> Clip to Evernote ↑よかったらクリップどーぞ